矢 野 純 T O D A Y 瓦 版

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2020年12月27日「境界線」

  子供の頃は大晦日の晩に

  年が変わって元旦になることに感激していたのです。

  もちろんお年玉が欲しい事もありますが、お年玉の話を抜きにしても

  何か今までとまるで違う新しい年になることに興奮していたのです。


  境界線を越えること、

  例えば宮崎県から100km、横方向に移動して

  県境を越えて大分県に入るときにも同じように感激していたのです。

  ところが2回、3回と県境を越える経験が増えていくと

  感激も半減、3分の1、4分の1へと次第に減っていきます。


  2021年に49歳になるので

  年越しも49回目になるのだと思います。

  年越しの感激も49分の1になったというか、もう無いに等しい位です。

  境界線だと感じていたことが

  越えても何も変化しない、連続したものだと経験的に分かったのです。

  県境にはただ看板が1枚あり

  その先の道には同じチェーン店が並んでいます。


  それでも正月用にお酒を買おうとか

  なにか正月らしい食べ物を用意しようとか

  なんとか境界線を作ろうとしてみています。


  そうした正月や、正月に休む準備のため

  12月は1か月間位、ひたすら忙しく

  ひどく疲れすぎて、普段はしないような失敗をすることが続きます。

  正月が無ければ失敗しなかったのではと思う反面

  正月休みが無いとゴールデンウィークまで身が持たないとも思います。


  もう境界線を越える感激を体験できないのだろうかと思うと

  もし宇宙旅行に行けば大気圏を脱出したときに

  初めて越える境界線に感激できるのだろうと思います。

  しかし2度、3度と宇宙に行けば

  ただ100km、縦方向に移動したと思うようになるのだろうと思います。

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