矢 野 純 T O D A Y 瓦 版

ドキュメント ルポルタージュ日本


第3回:「僕の親友」


***** 金子君 *****

金子君が亡くなってから、丸5年になる。

今日は、僕の親友を紹介しようと思う。


***** 思い出 *****

金子君は、私の中学1年生の頃からの友達で、中学時代は卓球部に所属、
明るくて、礼儀正しい、そしてユニークな発想をいつも持っていた。

いつも、「純君、純君」と僕を呼んでくれた。
僕は、金子君の一番の友達でいるつもりで居た。

ここに、金子君がくれた最後の年賀状があるので紹介しよう。


===== 金子君の年賀状1993 =====

〒882
惑星・太陽系・地球・東アジア・日本・関西・南九州・鮎の里
宮崎県延岡市(・・・・・・)二階のドアのこわれた部屋

 矢 野  純  殿

1992年12月31日 NHK除夜の鐘 中継
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、
ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン、ゴン。
と、108回鐘が鳴って・・・・

1992年締めまして、ごしゅうしょう様です。・・・ちがう
1993年明けましておめでとう。(ふぅ〜つかれた。)

ま、と言う事で新たな年をむかえた訳だけど、今年こそ
僕は、一人暮らしと言う大きな目標に向かって、がんばり
ますので乞う御期待。そして純君の方も、順風満帆な年を
送れるよう、お互いがんばりやしょう。と言う事で失礼。
===================


金子君がこの年賀状を書いたのは、亡くなる1ヶ月前のこと。

1年前に心臓病で入院、
大学病院を一日丸ごと貸し切っての大手術のあと・・・、
奇跡的に回復しての正月だった。


***** 過ごした時間 *****

「金子君は、もともと体の丈夫な子供では無かった。」と、
金子君のお父さんお母さんは、後にお話してくれました。

中学時代を仲良く過ごした。
私は卓球部員では無かったけれど、なぜか私も仲間に入れてくれた。
高校は、それぞれ別の高校に行ったけれど、なぜか遊ぶ相手は金子君だった。

一緒に街を、自転車で周ったり、
ゲームセンターで遊んだり、
日向(延岡から20kmほど南の街)に引っ越していった友達の家へ、
自転車こいで遊びに行ったりもしたなぁ・・。

高校を出て、僕は偶然受かった山形大学へ。
金子君は、地元の会社に就職。


金子君は、とても実直で、働き者だった。
誘われれば断れない性格だった。
金子君は一生懸命に働いた。
飲み方に誘われれば、深夜まで付き合っていたようだ。

けれど、その無理がたたって、仕事を始めて1年半で、
・・・金子君は倒れてしまったんだ。


***** 転機 *****

折りしも、私は大学を中退することになってしまっていた。
正月休みに実家に帰って、金子君が倒れたことを知り、僕は見舞いに行った。


矢野純「僕は、延岡に戻って来るよ。・・学校、中退、するんだ・・。」
金子君は、・・それだけの大変な決断をしたのだから、頑張れと言ってくれた。

金子君は、3軒の病院を転々とし、3軒目は宮崎医科大学付属病院だった。
半年間の入院生活。
心臓病での大手術をし、奇跡的に回復した。
2級の身体障害者になってしまったが、社会で暮らす事は許された。


金子君は、僕が延岡に戻った事自体は、とても喜んでくれた。
また、一緒に遊んで歩いたりできた・・。
幸せな時間だった・・。


***** 生きがい *****

僕は、山形での一人暮らしの話を金子君に聞かせた。
「料理を作ったり、いろいろしたり、楽しいよ!」ってね。

次第に、金子君も、一人暮らしをしてみたい!と言うようになった。
それは、手術後の金子君の、大きな目標になった。


金子君は、とても、とても実直だったから、
一生懸命に、道を探した。
「一人暮らし」をするために、・・職安で、仕事を探した。
「いつか一人で暮らせる日の為に」と、日用品やら何やらを買って準備していた。
不動産屋さんで、住む家も見つけていたよね・・・。


けれど、どの会社に面接に行っても、「2級身体障害者」って文字を見た途端、
面接間の顔色が急変したよね?
・・・悔しかったよね?・・・悔しかったよね?


いつも元気いっぱいの金子君が、身体障害者ってだけで、何軒、面接を受けても、
就職できなかった。

「弟の、健康な体がうらやましい。」って言ったよね・・・。


***** 別れ *****

1993年、
年が明けて、2人でゲームセンターへ遊びに行った。
なぜか、・・2人とも、別のゲームで遊んでいた・・・。
一緒に居たのは、行きと帰りの車の中だけだった・・。


金子君はその後、風邪を引いた。
悪いことに、かなりこじらせてしまい、入院してしまっていた。
入院して1週間位して初めて、僕に連絡がきて、
そのとき初めて、入院していることを知った。

金子君は、「風邪程度で入院して、純君に心配を掛けるのは悪いから・・。」
と、言っていた・・。

慌てて見舞いに行った僕は、
矢野純「ほぉ、元気そうじゃん。」
矢野純「ここは個室?」
矢野純「・・まるで引越ししたみたいで良いじゃん?」
と、言った。


金子君が「テレビが観たい」と言うので、
「明日、僕のテレビを持ってくるからね!」と言って、僕は病室を出た。

次の日、専門学校が終わってから、テレビを持ってそのまま病院へ行った。
・・・「面会謝絶」の文字が、そこに有った。


その次の日の朝、寝付けずに妙に朝早く起きたとき、
電話が鳴った。
・・・母の叫ぶような、力の無い声が聞こえた・・。

「金子君、・・・金子君、だめだったって・・・。」


***** ・・・。 *****

金子君・・・。
僕が金子君を殺してしまったんだ・・・。
僕がひどい言葉を言ったから、金子君、金子君・・・。

一番の友達でいる”つもり”なだけだった・・・。
もっともっと大切にしなければならなかった・・。
なのに、なのに・・
・・金子君の一番の夢の「一人暮らし」が、「病室で叶った」、
なんて言ってしまった・・・。

僕は、今でもずっと、この時の言葉を後悔しているよ・・。


***** 親友 *****

通夜、葬式共、参列し、
金子君のお父さんお母さんは、気を遣ってくれて、出棺の時、
僕に金子君の棺を抱えさせてくれた。


金子君の居なくなった部屋に、一つのアドレス帳が有った。
亡くなる2〜3ヶ月前に、作ったものらしかった。

社交性抜群の金子君だけあって、実に沢山の人の名前がそこには有った。

   「親友」

私が、その文字を見つけたとき、
私は金子君に、どう感謝してよいのか判らず、涙が止まらなかった。

金子君は、実に沢山の名前のならぶアドレス帳の、
ごく数人の備考欄に、「親友」と書き込んで有ったのだ。


***** これから *****

あれから5年間が過ぎ、
金子君のお父さんお母さんは、私を息子のように可愛がってくれています。

「心の迷い」が有る時には、
小学校の校庭が見下ろせる、日当たりの良い場所にある、金子君のお墓を訪ねます。
・・・なぜか、気楽になれるんです。


金子君?金子君?

私のその後の人生は、これで正しいと思いますか?
私は間違った道に行っていませんか?
不器用だけれど僕なりに、一生懸命やっています。
私がいつか死んだ時に、金子君が悲しい顔をして迎えにこないで済むように、
この世で一生懸命生きていくからね。
だから、ずっと、友達でいてね・・・。

1998/02/03 矢野純





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